泉北丘陵一帯は

須恵器発祥の地

むかしばなし
   みかんは、不老長寿の妙薬         
        

土は生命の源

                      税の代わりにみかんを帝に献上
むかしむかしの話でございます。 京都に都が置かれていた頃の話でございます。
「近頃、泉北丘陵の窯業地帯(現在の泉北ニュータウン)からの貢物が途絶えがちであるなんとか納めさせよ」との帝からの厳命を私は受けたのです。
実地調査とは名ばかり、税金の強制徴収の役であります。 いつの世でも、どこの国でも、お上のすることはむごいものであります。 重い税ほど民、農民にとって恐ろしいものはありません。
京の都より淀川を船で下り、三国丘は方違神社に旅の安全を祈願して、目的地の泉北丘陵の陶器山に参りました。 このあたりは高杯(たかつき)や水がめをたくさん作っており、 全国に売っている

現在の泉北ニュータウン 美木多上
土と火の町でございます。
ここでできる須恵器は、土に水を加えて練り上げ、木をくべ火をたいて焼きあげます。
「陰陽五行説」の木・火・土・金・水・の全て網羅しているのであります。   
私は、このことを美木多上の窯元で始めて知ったのです。
それというのは・・・・ あるところで、ひとりの青年が白髪まじりの老人のお尻をたたいているのに出会いました。 老人はシクシク泣いていました。
私はこの残酷な光景を見るに忍びず、青年に注意 しました。 「老人をいじめるのはいけない老人は国の宝である即刻やめなさい」ところが意外な言葉がはね返って きました。
「私は親の言うことを聞かないこの子をせっかんしているのだ」と言うのです。
青年は父親なので あり老人はその子供であったのです。父親はすっぱいミカンをちっとも食べようとしないわが子に愛のムチを打って しよっちゅうミカンを食べていた父親は若々しく全然食べない子供は老人のように老いさらばえていたのでした。このように土に育てられたミカンは人間を美しく元気にする果物なのであります。 私はここでハッと悟らされました。 須恵器の生産には多大な青春を費やすことを。
また、ミカンは無病息災の妙薬であることを- 私は税金の取立てを止めて帝のため不老長寿のミカンを沢山持って帰ることにしました。 美木多上のミカンは晩秋ともなりますと蜜柑が重い谷間の農家族の風景を展開しています。
なお、泉北丘陵地帯の須恵器つくりの伝統は奈良・平安朝時代には植田焼き行基焼として人々に親しまれました。以後、その技法は連綿として、この地で受け継がれ 、湊焼、堺焼、大仙焼、法道時焼など、ひとつの地域としては珍しく多くの窯を有する所で有ったのです。
  郷土史家 中山凡流 泉北むかしばなしより

                     
湊焼 現在は16代目が伝統を受け継いでいる有名な「湊焼」の窯元です。<湊焼窯元の津塩邸>諸説ありますが、行基が当地で土器を焼かせたのが湊焼の起源といわれ、
天正年間に千利休らの注文によって茶器を焼いてから広く知られるようになりました。
寛政年間には津塩の初代が作った湊焼の南蛮人形が人気となり全国に広がったといいます。 干支の人形、絵馬なども製作しています。
堺焼 大阪府堺に産する陶器で江戸時代安政頃に創始。菱古山焼(りょうこざんやき)とも称したが、明治後期、工場生産化されて、この製品を堺焼と呼ぶようになった。
大仙焼
法道時焼

                           
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(最終更新日 2007.05.03)